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鎌倉駅から大蔵幕府跡周辺を訪ねる半日旅 第2回 /鎌倉歩き #004

第2回は宝戒寺を出て筋替橋先を北進、西御門跡から来迎寺を目指す。
距離はおよそ1.7kmほど。

宝戒寺から来迎寺へ

宝戒寺前の小町大路

宝戒寺を出ると、小町大路と横大路がぶつかる交差点となっている。
(小町大路と横大路については諸説ある。「鎌倉駅から大蔵幕府跡周辺を訪ねる半日旅 第1回」を参照)
宝戒寺を右に出て小町大路(横大路)をを北進する。

筋替橋付近

小町大路(横大路)と六浦道が切り替わる筋替橋。
橋と名前が付けられていて鎌倉十橋にも数えられている筋替橋だが、現在はこの場所に橋はなく
往時流れていた川は暗渠となっている。

筋替橋から北方向を望む

筋替橋に立って北方向を見ると細い路地となっている。
北へ進めば横浜国立大学教育学部附属鎌倉小学校を東に折れ大倉幕府跡方面に
すぐ左を西に進めば鶴岡八幡宮東門に行き着く。

筋替橋付近から鶴岡八幡宮東門を望む

筋替橋から鶴岡八幡宮東門までは横浜国立大学教育学部附属鎌倉小学校の南端に沿った路地になっている。

鶴岡八幡宮東門

鶴岡八幡宮東門には若宮大路に面した三の鳥居に比べると小ぶりな鳥居が建ち
参拝者の数も少なめで落ち着いた雰囲気だ。

筋替橋案内

筋替橋に建つ道標。
たくさんの案内でわかるように、ここは鎌倉の北東に点在する寺社や史跡をめぐる中心のような場所になっている。
北東へ進めば「永福寺跡」「来迎寺」、東寄りに「大蔵幕府跡」その北に「法華堂跡」(頼朝の墓)、
そのさらに東には「荏柄天神社」と「鎌倉宮」、「覚園寺」がある。
六浦道を東に進めば「杉本寺」、「報国寺」、「浄妙寺」などが点在している。

鎌倉宮への分かれ道の案内

筋替橋から六浦道を東に100mほど進み、花屋さんの手前の三差路を左に入り、来迎寺に向かう。
途中には大蔵幕府跡を通って鎌倉宮につながる分かれ道がある。

西御門旧跡碑

鎌倉宮への分かれ道を曲がらず、さらに北進すると大蔵幕府の西御門旧跡碑が建っている。
大蔵幕府の源頼朝の居宅である御所があった場所で、当時武家の棟梁の居宅を幕府と呼んでいたことに由来する。後になって、武士による政治的機能を幕府と呼ぶようになり、大蔵幕府跡に初期の鎌倉幕府があったと考えることもできる。大蔵幕府はここを西として北は法華堂跡、東は東御門跡、南は六浦街道に囲まれた土地にあったと言われている。(諸説あり)

来迎寺への道

さらに北進し、しばらく住宅街を進む。

-来迎寺-

来迎寺案内

だらだらと続く坂道を登っていくと来迎寺に到着。
(時宗 満光山 来迎寺 らいこうじ)
来迎寺は、1293年に一向上人により開山、鎌倉大地震で亡くなった村人たちの供養として一向上人により創建された、と言われている。

来迎寺階段

住宅街の坂道の先にはさらなる階段が待っている。
この本堂へ続く階段含めて、きれいに整備されている。

門の先にはさらに階段がある。

本堂

境内に入ると、左手に本堂、右手にはお墓が並ぶ。
門(山門)を入って、またはそれに続く石段の先の正面ではなく左手に本堂が建っている。
参拝した日は、本堂の扉は閉められていた。
門も開いていて境内に入るだけなら特に参拝料は必要ないようだ。本堂で拝観するには予約が必要なので公式HPを確認する必要がある。毎月拝観できる日が決められ、前月には予約案内がHPに掲載されるようだ。

本堂
本堂