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寿福寺(見どころ・アクセス) 源氏ゆかりの地に鎌倉五山第三位の寺院  /鎌倉神社仏閣#024

寺社詳細

2025年9月1日

寿福寺 本堂

寿福寺は、源氏の先祖ゆかりの地に、北条政子が頼朝を弔うため明菴栄西を招いて創建しました。本堂裏には、北条政子と源実朝の墓と伝わるやぐらがあります。

鎌倉駅からのアクセス

JR鎌倉駅から寿福寺までは、徒歩で500m8分ほどです。
JR鎌倉駅西口に出ます。改札を出てロータリーの先に正面に伸びる道を進みます。

JR鎌倉駅西口 (右側の建物は江ノ電鎌倉駅)
ロータリーの先の道を進む
駅を背に市役所前交差点まで直進
市役所前交差点 正面は紀ノ国屋

市役所前交差点まで直進、正面に紀ノ国屋を見て、右に曲がります。右に曲がると今大路(今小路または武蔵大路)となります。

今大路
今大路の銭洗い天神への分かれ道

途中銭洗い天神への分かれ道がありますが、直進します。

右手に巽神社

右手に巽神社を見ながらさらに直進します。

今大路
左手に八坂神社

左手の八坂神社に出ましたら、その先が寿福寺となります。

八坂神社の脇から寿福寺入ります

寿福寺は、正面道路に接する部分は木が植えられており境内には入れません。八坂神社脇の入口か、寿福寺正面を通り過ぎたところにある入口から入ります。

総門正面の木々
寿福寺総門

由緒

寿福寺は、鎌倉市に位置する歴史深い禅宗寺院であり、源氏の祖先ゆかりの地に建てられました。

この地は、奥州征伐に向かう源頼義が勝利を祈願した源氏山を背にし、源頼朝の父・源義朝の屋敷があった場所でもあります。頼朝が鎌倉に幕府を開こうとした際、亀ヶ谷と呼ばれる三方を源氏山に囲まれ防衛に適したこの地を候補としましたが、幕府を開くには土地が狭く、すでに義朝の菩提を弔う仏堂が建てられていたことから断念し、大蔵に幕府を構えたという伝えがあります。

寿福寺は、頼朝の死後の正治2年(1200年)、妻の北条政子が夫の菩提を弔うため、中国で禅を学んだ高僧・明庵栄西を開山に迎えて創建されました。栄西は臨済禅の祖とされ、日本に茶の文化を広めた人物でもあり、彼の著書『喫茶養生記』は寺の宝物として伝えられています。
三代将軍・源実朝も栄西を慕い、寿福寺を再三訪れたといわれています。
創建当初の寿福寺は七堂伽藍を備え、14の塔頭を有する壮大な寺院でした。1278年頃には禅宗寺院としての体裁を整え、鎌倉五山の一つに数えられ、1386年には第三位の格式を得ました。

1247年と1258年の火災により伽藍は焼失し、現在の建物は江戸時代に再建されました。

案内
教育委員会案内
総門

総門から山門・本堂への参道

総門から山門、本堂へと直線上に配置され、総門から山門への参道は両側を木々に囲まれた石畳の道で、静寂の中を山門の先に光を浴び中庭を持つ本堂へと導かれるように進みます。

総門と寺標
総門から山門を望む
春の初めの頃の参道
夏の盛りの参道

山門

山門
山門の先にはポッカリと庭に陽があたっている
山門に寺号の額

本堂

山門から先の本堂は、通常は非公開となっております。正月などには特別拝観が行われます。

山門から見た本堂
本堂中庭の手入れ

境内の見どころ

墓地までの小道

山門左脇の小道を進みます
突き当り三叉路を右に
左にトンネルを見ながら直進
左に源氏山公園へのハイキングコースを見ながら直進

木々のなかの墓地

小道を進んで行くと墓地となります。
北条政子と実朝の墓へは更に小道を進み、高台の墓地をまっすぐ登りましょう。

墓地入口付近
墓地の中の道、石段をまっすぐ登ります

墓地の中で山肌に行き当たったら、山肌沿いに右に進みます。

有名人の墓地

墓地には明治時代に外務大臣だった陸奥宗光、高浜虚子、大仏次郎などの墓があります。

高浜虚子の墓

北条政子の墓

政子墓

源実朝の墓

実朝墓
実朝をしのぶ碑

総門横の源実朝を偲ぶ碑は平山郁夫氏の書です。

やぐら

寿福寺には、有名人の墓であるやぐらの他にも多くのやぐらがあります。

季節の花

春:桜、梅、藤
夏:あじさい
秋:彼岸花
冬:ニホンズイセン


住所         鎌倉市扇ガ谷1-17-7
          JR鎌倉駅から徒歩10分

          
電話番号       0467-22-6607
拝観料/入館料     志納
                   
開門・閉門時間    非公開部分を除いては自由