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鶴岡八幡宮 頼朝が基礎を築いた東国武士の守護神  /鎌倉神社仏閣 #010

鶴岡八幡宮

鶴岡八幡宮は鎌倉幕府初代将軍源頼朝が基礎を築き以降武家社会から現代に至るまで多くの人々が詣でる鎌倉を代表する神社です。

鎌倉駅から八幡宮前まで

JR鎌倉駅東口から若宮大路を左に進むと、二の鳥居前交差点から段葛(若宮大路中央部分が少し盛り上がっている歩道)が始まります。段葛を進み突き当り八幡宮前交差点を渡ると三の鳥居となり、鶴岡八幡宮境内となります。

二の鳥居 鳥居の先は段葛
段葛
八幡宮前交差点と三の鳥居

鎌倉駅から八幡宮前交差点までの若宮大路や段葛については、以下を御覧ください。

源平池と太鼓橋

三の鳥居をくぐると左右にひろがる源平池に三本の橋がかかっています。
真ん中の太鼓橋は、1182年に源平池が源頼朝の命で造成された際に架けられたものと言われています。当時は赤く塗られていて赤橋と呼ばれていました。現在は太鼓橋は通行できなくなっており、左右に架けられた新しい橋が赤く塗られており、そちらが赤い橋と呼ばれています。

太鼓橋
太鼓橋と両脇の赤い橋
太鼓橋の左右にある赤い橋
舞殿側から太鼓橋、三の鳥居を望む

源平池は、源頼朝が専光房良暹に命じ作られたと伝わります。太鼓橋の右側が源氏池、左側が平家池と呼ばれ、源氏池のほうが大きくなっています。

平家池
源氏池

表参道

赤い橋を渡ると手水舎、舞殿まで伸びる広い表参道となります。

表参道
舞殿前の参道

舞殿と若宮

舞殿と右奥に若宮
舞殿正面
舞殿左側(奥に若宮)

建久2年(1191)の鎌倉の大火をきっかけに、若宮しかなかった鶴岡八幡宮に応神天皇の八幡神を祀った本宮を大臣山の中腹を開いて建てます。上下二宮となり、本宮は上宮と呼ばれ、それまでの若宮は下宮と呼ばれるようになります。
現在の若宮は、表参道から舞殿、本宮の直線上から少し外れて建つ形になっており、比較的落ち着いて参拝できます。

本宮(上宮)から若宮側に降りてきたところ
若宮
若宮
舞殿から大石段を見通す

由緒

由比若宮(元八幡)

永承七年(1052)8月、源頼義は前九年の役で勝利を収め、陸奥国から京都へ凱旋する途中に鎌倉に立ち寄ります。京都の石清水八幡宮を篤く信仰していた頼義は、源氏の氏神として、鎌倉由比ヶ浜に石清水八幡宮を勧請しました。当時は鶴岡若宮あるいは由比若宮(または元八幡)と呼ばれました。この戦での、効験があったからだとされています。現在は小町大路に由比若宮、元八幡と呼ばれる社が残っています。

由比若宮入口
由比若宮
由比若宮由緒

頼朝鎌倉入部と若宮遷移

石橋山の戦いに敗れ安房国に落ち延びた頼朝は、軍勢を整え鎌倉入したのは治承4年(1180)10月と言われています。頼朝は、入部の翌朝に由比若宮を遠くから拝み、由比若宮を移転することを決断します。言い伝えでは入部4日後には現在の小林郷北山に鶴岡八幡宮を建立しました。急いで建てたので、きわめて簡単、かつ素朴なもので、現在の石段の下に若宮を置いただけだったと言われています。

鶴岡八幡宮造営

移転当初の鶴岡八幡宮は仁徳天皇を主祭神とする若宮があるだけでした。翌年(1181)に本格的な造営が始められます。寿永元年(1182)境内の入口に源平池(放生池)が作られます。また、頼朝が伊豆山権現から招いた別当の専光房良暹はじめ、副別当にあたる供僧として、阿閣梨定兼がこの年に着任、徐々に名僧が集まります。

大火と本宮建立

建久2年(1191)鎌倉に大火が起きます。大町付近を火元にした火事は、強風に煽られて小町大路東側一帯から大蔵御所まで焼き尽くしました。鶴岡八幡宮も社殿はもちろん末社に至るすべてが焼け落ちました。

実は鶴岡八幡宮は頼義が由比郷鶴岡に建てた若宮のまま移転しただけで、成り立ちの京都の石清水八幡宮の勧請は非公式(私的)でした。また、頼朝による遷座も源平合戦の最中であったため正式なものではありませんでした。

そこで、焼け落ちた鶴岡八幡宮の再建にあたっては、正式に石清水八幡宮を勧請、仁徳天皇を祀った若宮だけでなく、応神天皇の八幡神を祀った本宮を建てました。

焼け落ちた若宮の北方、大臣山の中腹を開き、八幡神を安置するための社殿を建てます。この社殿は「上宮」(本宮)と呼ばれ、これまでの若宮は「下宮」と呼ばれ、現在のような上下二宮形式になったとされます。

東国武士の守護神

頼朝は鶴岡八幡宮を源家の氏神として祀っただけではなく、鎌倉幕府ひいては東国武士の守護神として位置づけました。もともと東国各領地で各々多様の宗派に帰依している東国武士の集まりである鎌倉幕府であったため、一宗一派に偏ることなく、また平氏一門の僧も供僧として取り込み整備しました。そのこともあり、鶴岡八幡宮は「鶴岡八幡宮寺」の名称で明治初年の神仏分離令まで神仏混淆の寺だったのでした。

手前から舞殿(右に若宮)ー大石段ー本宮
手水舎
本宮(上宮)楼門

本宮


舞殿の奥の大石段を登ると本宮(上宮)になります。
両翼を広げた楼門の奥に本宮が建っています。本宮向かって左側には宝物殿があります。

楼門
楼門

大銀杏

1219年 鶴岡八幡宮の大石段で、将軍源実朝が頼朝の子の公暁に暗殺されます。伝説では大石段脇の大銀杏に公暁が隠れて実朝を待ち伏せした、とされていますが真偽の程はわかりません。
この大銀杏は鶴岡八幡宮の御神木とされ、2010年3月10日強風で倒れてしまいました。現在は新芽(ひこばえ)が成長しています。

大銀杏のあった場所 現在は大銀杏の根から新たな生命が育つ

境内

祖霊社
鶴岡研修道場
斎館
社務所

丸山稲荷社

丸山稲荷社は本宮建立以前からこの地にあったと言われるお宮です。
本殿は商売繁昌等を願う多くの方々より奉納された赤い旗で囲まれています。

丸山稲荷社
丸山稲荷社本殿

今宮

境内北側駐車場北端の小道を登っていくと今宮があります。
今宮は後鳥羽天皇、土御門天皇、順徳天皇を祭神としています。

今宮参道
今宮本殿

白旗神社

若宮(下宮)の向かって右手に柳原神池という小さな池があり、そこにかかる赤い橋を渡ると白旗神社となります。源頼朝公、実朝公がお祀りされています。鎌倉には近くの西御門にも白旗神社があります。
各地にある白旗神社の多くは源頼朝または源氏の武将や八幡神を祀っていると言われています。

柳原神池
白旗神社
白旗神社
白旗神社鳥居
鎌倉国宝館

鎌倉文華館 鶴岡ミュージアム

1951年に日本初の効率近代美術館として開館した神奈川県立近代美術館の旧鎌倉館を継承した建物です。旧鎌倉館は2016年に閉館、神奈川県指定重要文化財(建造物)に指定され、神奈川県から鶴岡八幡宮に土地の返還と合わせて無償譲渡されました。
2019年6月、鎌倉文華館 鶴岡ミュージアムとして開館、2020年末には建物が国の重要文化財に指定されています。

設計は坂倉準三氏で、巨匠ル・コルビュジエに師事、1937年のパリ万国博覧会の日本館を設計し建築部門のグランプリを受賞、一躍、世界的評価を受けました。

併設されているュージアム カフェ&ショップには、2010年に倒伏した大銀杏の一部が展示されています。室内の展示のせいもあるでしょうが、樹齢千年とも言われる大銀杏の幹は迫力があります。

鎌倉文華館 鶴岡ミュージアム(入口)
鎌倉文華館 鶴岡ミュージアム(県道側散策路から)
鎌倉文華館 鶴岡ミュージアム(平家池対岸から)
鎌倉文華館 鶴岡ミュージアム(テラスから平家池)
鎌倉文華館 鶴岡ミュージアム(平家池対岸から)
ミュージアム カフェ&ショップ

季節の花

白旗神社鳥居の向かいに神苑ぼたん庭園があります。
冬ぼたんと春ぼたんの2回の展示が行われています。(入園料 500円)

神苑ぼたん庭園

春には境内の桜と段葛の桜のトンネルが見事です。
ミモザ、フジ、梅などが季節に応じて楽しめます。

楼門と桜
段葛の桜

住所         鎌倉市雪ノ下2-1-31
          JR鎌倉駅東口徒歩10分 
          
電話番号       0467-22-0315
拝観料/入館料     志納
開門・閉門時間    10月~3月:6時~21時
          4月~9月:5時~21時