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本覚寺 日蓮上人ゆかりの寺 /鎌倉神社仏閣 #008

本覚寺 本堂

鎌倉駅東口から若宮大路を渡り、右方向(海側)に進み、鎌倉郵便局の先を左に曲がると右手に本覚寺境内の入口が見えます。
正面の仁王門は小町大路に面しており、右手の境内入口を入らず直進し小町大路に突き当たったら右に曲がり20Mほど進みます。

鎌倉時代には、小町大路は一般の武士や庶民の道路、若宮大路は鶴岡八幡宮の参道であったため、御所以外には若宮大路に門を向けている屋敷はなかったと言われています。創建当時本覚寺は若宮大路と小町大路に挟まれている立地ゆえ、小町大路側に正門があったと考えられます。

仁王門

堂々とした構えの仁王門(山門)

小町大路に面した仁王門は堂々とした構えで重層の立派な楼門となっています。両側に仁王像を配しています。

仁王門から本堂を望む
阿形像
吽形像
夷堂から見た二天門

夷堂橋

仁王門の前の滑川には夷堂橋(えびすどうばし)がかかっています。鎌倉時代初期にこの場所に夷堂が建てられ、一度は消失しますが、本覚寺建立の際、本覚寺内に再建されます。

夷堂橋案内
夷堂橋から仁王門

滑川にかかる夷堂橋の先は南に折れ大町に続きます。橋の先を直進すると妙本寺に至ります。

夷堂橋から妙本寺方向
滑川

本覚寺由緒

本覚寺は、1436年に創建された日蓮宗の本山(由緒寺院)です。

案内


現在の仁王門(山門)が建つ場所に現在は夷堂と呼ばれる夷三郎社があり、これはこの場所が大倉幕府の裏鬼門にあたる当たるとして源頼朝が守り神として建立したと伝わります。この夷堂を、日蓮上人が配流を解かれて鎌倉に戻り不況を再開した際に住まいにしたと伝えられます。その夷堂は鎌倉幕府滅亡の際に焼け落ちます。
本覚寺を開山したのは日出上人で、駿河の国の学者でしたが後に出家し熱心に布教活動をしましたが、幕府の日蓮宗弾圧に遭いますが、ときの鎌倉公方足利持氏は突如日出上人を放免、日蓮上人がゆかりあった夷堂と法華堂建立を認めます。
永享八年(1436)に本覚寺は創建、夷堂も本覚寺の中に移されました。

境内
本堂正面
本堂

夷堂

明治初期に神仏分離令が発せられると、夷堂は本覚寺から移転、現在の蛭子神社の地にあった七面大明神と宝戒寺にあった山王大権現と合祀され蛭子神社なっています。
1981年には、本覚寺内に夷堂が再建されました。

蛭子神社
再建された本覚寺内の夷堂

境内

手水舎
鐘楼
刀鍛冶五郎入道正宗の墓

後に二代目住職日朝が、身延山に参詣することが困難な人のために身延山より日蓮聖人の遺骨をここに分骨し、祖師分骨堂が建てられました。そのため本覚寺は東身延と呼ばれるようになりました。
また、日朝は自身の眼病をお祈りで快癒させたことから、眼病のご利益があるとされ、日朝さまと呼ばれ親しまれています。

祖師分骨堂

季節の花

春には桜が見事です。
夏にはサルスベリ・ノウゼンカズラの花が楽しめます。

境内に咲く桜
参道に咲く桜
仁王門から夷堂橋先の桜を望む
妙本寺参道から本覚寺を望む

住所         鎌倉市小町1-12-12
          JR鎌倉駅東口徒歩5分 
          
電話番号       0467-22-0490
拝観料/入館料     なし
拝観時間/入館時間   特に定めなし
            ※寺事務9:00~16:00