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荏柄天神社 歴史と文化の香り漂う学問の神様 (鎌倉)/神社仏閣 #004


鎌倉駅からのアクセス

JR鎌倉駅東口を出て若宮大路を鶴岡八幡宮に向かって進み、鶴岡八幡宮三の鳥居前の横大路(若宮大路の北側突き当りの道)を東方向(金沢方向)に道なりに進むと金沢街道(六浦道)となります。金沢街道の岐れ道交差点で金沢街道を進む道と、左斜めに進んで鎌倉宮に向かう道に別れます。ここで、金沢街道を進むと大御堂橋交差点の少し先左側に荏柄天神社の一の鳥居があり、その鳥居をくぐって参道をまっすぐ進むと、二の鳥居を越えて荏柄天神社となります。

若宮大路と横大路の交差する八幡宮前交差点
大御堂橋交差点 右に曲がると大御堂橋
荏柄天神社 一の鳥居
一の鳥居から二の鳥居に続く参道
二の鳥居手前の社号標 両側から絡み合う二本の松の木
二の鳥居の松
二の鳥居 奥に楼門が見える

二の鳥居にある松並木の名残の絡み合う二本の松は見ものです。

また、金沢街道大御堂交差点手前の岐れ道交差点を左斜に鎌倉宮に向かうと、天神前バス停があり、そこを左に曲がるとすぐ荏柄天神社二の鳥居となります。

岐れ道交差点 バスの進行方向が鎌倉宮
天神前バス停 奥に二の鳥居
二の鳥居

荏柄天神社は鎌倉二階堂の住宅地の丘の上に向かっている一本の階段が目印で、参道からきちんと手入れされた佇まいの神社です。御祭神は菅原道真公で、特に学問の神様として有名です。一説には太宰府・北野の両天神とともに、日本山大天神(三天神)に数えられています。

神門に続く参道
ミツマタと菅公一千年祭記念碑
神門

荏柄天神社由緒

荏柄天神社は、菅原道真を祀る神社です。社伝では、1104年に雷雨とともに天神の姿絵が降りてきたのを里人が敬い祀ったのが始まりとされます。荏柄という名は、地名であった「荏草郷(えがや)」が転じて「エガラ」となり、「荏柄」と表記されたという説や、菅原氏の家紋である荏柄紋に由来する説などがあります。

荏柄天神社は、1180年に源頼朝が鎌倉に幕府を開いた際に、鬼門の守護神として崇敬し、社殿を造営しました。以後、鎌倉幕府の歴代の将軍や、北条氏、足利氏、豊臣氏、徳川氏などの時の権力者にも庇護を受け、寄進を受けてきました。

神門
神門の奥の拝殿
神門の扉の梅の神紋

荏柄天神社の本殿は、1622年に鶴岡八幡宮の若宮の旧本殿を移築したもので、現存する鎌倉最古の神社建築で、国の重要文化財に指定されています。また、境内には、900年の樹齢を誇る大銀杏や、漫画家ゆかりの絵筆塚やかっぱ筆塚などがあります。

拝殿
拝殿内部
拝殿と神輿庫(右)
社殿全体 拝殿(右)と奥につながる本殿(左)
かっぱ筆塚
絵筆塚全体
154名の漫画家による河童のレリーフ
絵筆塚

荏柄天神社は、学問の神様として知られており、受験生や学生の参拝者が多く訪れます。また、梅の花をこよなく愛した菅原道真にちなんで、初春には梅の花が咲き誇ります。歴史と文化の香り漂う神社で、鎌倉の名所の一つです。

受験シーズンになると合格祈願の絵馬が連なる
拝殿側から神門
神門から二の鳥居を見下ろす

季節の花々

荏柄天神社は、梅の名所として有名な神社ですが、梅以外にも季節の花々が咲いています。
シャガ、ツツジ、ヒガンバナ、スイセンなどが有名です。また参道にはアジサイが咲きます。また、境内には御神木の樹齢900年の大銀杏があり、秋には黄色に染まります。

本殿横に咲くシャガの花

熊野権現

荏柄天神社境内手水舎の後ろに鳥居がありその奥に石段が続いています。ここが熊野権現です。明治時代にもともと同地区にあった熊野権現を荏柄天神社に合祀されました。熊野権現の社は丘の上の鳥居の奥のやぐらの中に祀られています。

熊野権現の社に続く石段

大銀杏

楼門脇には御神木の大銀杏が構え、秋には見事に色づきます。天神社となる以前からこの大銀杏は地元の人々の信仰の対象だったようです。由緒にある1104年に雷雨とともに天神の画像が降りてきた際に、里人が画像が降りてきた場所を人々が踏まないように銀杏の樹を植えて祀ったのが始まりとされ、その際に社殿も作られたようです。

大きく枝を張った大銀杏

住所         鎌倉市二階堂74
          JR鎌倉駅東口徒歩25分 
            JR鎌倉駅東口から「天神前」バス停下車3分(京浜急行バス 鎌倉20「 大塔宮行」)
            JR鎌倉駅東口から「岐れ道」バス停下車徒歩6分(京浜急行バス 23、24、36系統)
電話番号       0467-25-1772
拝観料/入館料     なし
拝観時間/入館時間   8時30分~16時30分 ※ 正月初頭は延長