金龍山 釈満院 円頓宝戒寺 天台宗
ほうかいじ/Hokaiji Temple
https://hokaiji.com/
宝戒寺 鎌倉駅からのアクセス
JR鎌倉駅東口改札を出て正面バスロータリーの真ん中の横断歩道を直進します。
横断歩道を渡った先の歩道を左に進むと小町通り出ますが、ここではさらに直進し若宮大路「鎌倉駅入口」交差点まで進みます。
若宮大路「鎌倉駅入口」交差点にあるとんかつ「あら珠」の角を左に。
若宮大路を1ブロック進むと「二の鳥居前」交差点に出ます。この二の鳥居から鶴岡八幡宮三の鳥居まで段葛が続いています。横断歩道を渡って段葛を歩いてみましょう。
若宮大路と段葛は「八幡宮前」交差点までです。この三の鳥居の先は鶴岡八幡宮境内となります。「八幡宮前」交差点を右に曲がり「横大路」を突き当りまで進んでみましょう。
この突き当り三叉路の向こう側に宝戒寺の門が見えます。
宝戒寺由緒
宝戒寺のある場所は、鎌倉幕府第二代執権北条義時が小町邸を作って以来代々の北条執権の屋敷でした。
倒幕の機運が高まっていた1333年、鎌倉幕府執権は第十四代を数え北条高時の時代、足利尊氏が鎌倉幕府を裏切り京都で六波羅探題を攻め落とします。すると後醍醐天皇の幕府追悼の令旨を受けた新田義貞が新田荘(埼玉県太田市あたり)で挙兵、幕府軍は鎌倉特有の切通を活用して徹底抗戦します。
しかし幕府に不満を持った武士らが大勢参加した新田軍は切通ではなく由比ヶ浜の引き潮を狙って海側から進軍、ついに北条高時は追い詰められて葛西ヶ谷(かさいがやつ・宝戒寺の裏山)の東勝寺で自害、一族郎党870余名も運命を共にし、鎌倉幕府は滅亡しました。後に北条氏一族自害の場所は腹切りやぐらと呼ばれるようになりました。
1335年、後醍醐天皇は滅びた北条氏一族の霊を慰めるため、また、国宝的人材を養成修行せしめる道場として足利尊氏に命じ、北条執権屋敷跡に宝戒寺を建立させました。
宝戒寺境内(見どころ)
本尊は地蔵菩薩坐像(国の重要文化財)です。鎌倉二十四地蔵菩薩霊場の一番札所になっています。関東大震災後に本尊が割れ、修復の際にこの像は京都の三条仏師憲円が1365年に作ったことが発見されました。
本尊である地蔵菩薩坐像は本堂内にあります。本堂にはいつでも上がってお参りでき、本尊を拝めます。ただし本堂は撮影禁止です。こちらはお庭にあった鎌倉二十四地蔵菩薩霊場の石碑です。
本堂の脇には青々とした大木が植わっています。本堂も大きくて立派ですがこの大木は本堂よりも大きく、枝も大きく広げています。この大木は柏槇(びゃくしん)で東久邇宮お手植えの印があります。
德崇大権現として北条高時が祀られています。
聖德太子が祀られている聖徳太子堂。
聖德太子は諸職人の守り神として信仰されています。
滅亡した北条氏と合戦の戦没を供養する慰霊塔。
桜の宝戒寺
宝戒寺は萩の寺として有名ですが、春の早い時期に参拝した際、見事な桜が楽しめました。木々に囲まれ観光地の喧騒と無縁の境内に咲く桜をお楽しみください。(2023年3月29日撮影)
宝戒寺 早春の花々
そして、宝戒寺で忘れてはいけないのは本堂向かって左手にある庭で咲く季節の花々です。3月の庭で見つけた花々を御覧ください。
1月の宝戒寺
1月に宝戒寺にお参りした際のお庭の花を少し。主につばきが咲いていました。
住所 鎌倉市小町3-5-22
JR鎌倉駅東口徒歩15分
JR鎌倉駅東口から「大学前」下車徒歩3分(京浜急行バス 鎌20、23、24、36系統)
電話番号 0467-22-5512
拝観料/入館料 大 人:300円
中学生:200円
小学生:100円
*障害者半額(要障害者手帳)付添1名半額
拝観時間/入館時間
【夏時間(4月~9月)】 9時30分~16時30分
【冬時間(10月~3月)】9時30分~16時00分