稲荷山 超世院 別願寺
時宗
べつがんじ /Betsuganji : Betsuganji Temple
別願寺は時宗のお寺です。山号は稲荷山といい、境内に一夜菜稲荷明神をお祀りしていることから名付けられたと伝わります。
鎌倉市大町に立つ別願寺は、大きくはありませんが近年本堂が建て替えられており、境内もきれいに日々整えられています。
鎌倉駅からのアクセス
鎌倉駅から別願寺までは、若宮大路を南下しJR線横須賀線と交差するところから大町大路を東に進む道と、小町大路を南下し大町大路との交差点から大町大路を東に進む二つの道があります。
若宮大路ー大町大路
徒歩10分程度の道のりです。
鎌倉駅東口ロータリーの右側に進み、スターバックスコーヒーとエクセルシオールカフェの間の道に入ります。
すぐにカラオケのまねきねこが見えてきますので、まねきねことKFCの間の細い路地に入ります。
路地の先は若宮大路の交差点になっていますので、歩行者信号を渡りスルガ銀行の前を右に若宮大路を南下します。
鎌倉市農協連即売所を過ぎて、ローソンのある交差点でJR横須賀線高架橋の手前の左斜め方向に入る道を進みます。
大町橋を渡ると右にJR横須賀線の踏切が見え、大町大路との交差点となりますので、左に曲がります。
左に曲がると大町大路となります。200mほど進むと別願寺となります。
小町大路ー大町大路
こちらも徒歩10分程度の道のりです。
鎌倉駅東口から若宮大路を渡り、右方向(海側)に進み、鎌倉郵便局の先を左に曲がります。
しばらく進み小町大路に突き当たったら右にしばらく行くと夷堂橋が滑川にかかっています。
夷堂橋の先小町大路は大きく右にカーブしていますので、道なりに進みます。
小町大路を夷堂橋から道なりに300mほど進むと信号のある交差点に出ます。
大町大路と小町大路が交差する大町四ツ角交差点となります。
この交差点を左に曲がり名越方向に100mほど進むと別願寺が左手に見えてきます。
由緒
別願寺の創建年代はわかっていません。はじめは能成寺の名で真言宗の寺院でした。弘安5年(1282年)に住職だった公忍が一遍上人に弟子入りし、名を覚阿と改め時宗に帰依しました。その時に寺の名も別願寺に改名し、時宗の寺院となりました。
室町時代には足利一族から深い信仰を集め、鎌倉公方の菩提寺として栄えました。
その後、江戸時代中頃には寺の勢いは失われ、現在に至っています。 令和4年(2022年)に本堂が建て替えられ、同時に境内も整備されています。
足利持氏の供養塔
境内には足利持氏の供養塔があります。足利持氏は第4代鎌倉公方で足利幕府に対して永享の乱を起こしたとされ、この供養塔は持氏の怒りを鎮めるために建てられたとされます。
供養塔には四方に鳥居の浮彫が施されています。
一夜菜稲荷
別願寺の入口脇に小さな祠が建っています。案内によると一夜菜稲荷明神とされ、古くから別願寺境内にあるとのことです。
一夜菜稲荷明神の由緒は別願寺による案内板が立っています。
言い伝えによれば、昔この辺に悪い病が流行した際に、この稲荷神社を信ずる者の夢枕に、白髪の老人が立ち、「我が祠前に菜種を蒔き、それを摘みて服用すべし。必ず効験あらん。」と告げて煙のごとく姿を消してしまいました。
其の者は祠前に菜種を蒔くと、一夜にして菜が五寸あまり育ち、この菜を服用すると、病にかかっていた者は立ちどころに治り、病の流行を止めることができたのでした。そのため、あちこちの人々が争ってお参りしこの菜をいただこうとしました。
こうして、一夜菜稲荷の名前が誕生しました。
※案内板によると、この稲荷神社はもともと佐竹稲荷と呼ばれていたようです。別願寺の由緒には佐竹氏が登場しませんが、ここ大町には大宝寺や八雲神社など佐竹氏一族に関係した寺社が少なくありません。時宗に改宗する前の能成寺の時代には佐竹氏と何らかのつながりがあったのかもしれません。
大宝寺、八雲神社についてはこちらを御覧ください。
季節の花
別願寺は初夏に藤の花が有名です。もともとは藤の木があるだけでしたが、近年藤棚に整備をされています。
本堂の前の花壇には季節の花々が楽しめます。
住所 鎌倉市 小町大町1-11-4
JR鎌倉駅東口徒歩10分~15分
電話番号 0467-22-8501
拝観料/入館料 なし
拝観時間/入館時間 特に定め無し