多福山大寶寺(大宝寺) 日蓮宗
だいほうじ(たいほうじ)/Daihoji (Taihoji) : Daihoji Temple
大宝寺は、鎌倉大町の住宅地の奥にひっそりと佇む日蓮宗の寺院です。
鎌倉駅からのアクセス
鎌倉駅東口から緑ヶ丘方面(鎌31系統 緑ヶ丘入口行き)バスに乗って、名越バス停で下車、バスが来た道を信号まで50mほど戻ります。
信号まで戻ったら、左前方に回生堂さんが見えます。回生堂さんと道を挟んで向かいの路地、バス停から歩いてくると右に曲がる道を入ります。(ローソンまで行くと行き過ぎです)
150mほど進んだ左側の路地入口(左側の路地3本目)に大宝寺の案内が出てきます。名越バス停からここまで大宝寺の案内は出てこないので注意してください。
案内に従い、路地を左に入り少し進むと右手に大宝寺の山門があります。
なお、鎌倉駅から徒歩でも15分ほどの距離となります。
鎌倉駅東口から大町大路の回生堂前の交差点までは徒歩で20分ほどです。駅から若宮大路ー大町大路と進む道、若宮大路を横切って小町大路ー大町大路と進む道があります。鎌倉駅東口から大町大路までは別願寺のページを御覧ください。交差点までは別願寺から安養院を経て200mほどの距離です。
由緒
鎌倉幕府が滅んで66年後、室町時代初期応永6年(1399)に大宝寺は建立されたと伝わります。
佐竹屋敷
大宝寺周辺は佐竹屋敷跡といわれています。もともとは、平安時代後期の武将源義家の弟である源義光(新羅三郎義光)がこの地に館を構えたのが始まりですが、後にその孫の昌義が常陸国久慈郡佐竹郷(現茨城県常陸太田市)に土着したため、佐竹氏と呼ばれるようになり、鎌倉幕府ができて佐竹氏が御家人となったこともあり、佐竹屋敷と呼ばれるようになったようです。
平安時代後期には鎌倉周辺は源氏の武将の所領となっていましたが、源義光がここに館を構える前までは源氏の武将は、朝廷や摂関家への奉公に忙しく京都の自邸を離れることはありませんでした。その中で最初に鎌倉に館を構えたのは、義光だったのです。
永保三年(1083)後三年の役のとき、兄・源義家とともにこれを鎮め、甲斐守となって現在大宝寺のある場所に館を構えます。以来佐竹氏の屋敷となったと伝えられています。
佐竹氏は平安時代末期には平氏側に属し、頼朝旗揚げの頃は頼朝軍には参加しなかったが、奥州合戦では頼朝軍に加わり、武功を上げて鎌倉幕府の御家人となっています。
佐竹義盛
室町時代の応永六年(1399)、佐竹氏第11代当主義盛が出家し、自邸のそばに多福寺を建立します。その後、大町の八雲神社に合祀され廃寺となっていたのを、文安元年(1444)、本覚寺開山の一乗院日出上人が再興し、多福寺の名を山号に残し、大宝寺と改め、八雲神社から多福神を再勧請しました。
大宝寺の本堂の背後の山は佐竹山と呼ばれ、佐竹山の西麓には八雲神社があります。その八雲神社も義光創建との伝えもあり、御祭神は佐竹義盛となっています。
八雲神社についてはこちらの記事をお読みください。
本堂
本尊は三宝祖師。そのほか、新羅三郎源義光像、子育鬼子母神、出世大黒天神、日出上人像などが祀られています。
大多福稲荷大明神
境内には新羅三郎源義光ゆかりで佐竹氏の守護神社の多福明神社(大多福稲荷大明神)、裏山には義光の墓と伝わる宝篋印塔があります。
季節の花
本数は少ないですが、季節の花々山門から境内にかけて楽しめます。
ミツマタや桜、ツツジ、サルスベリ、ウメなど
住所 鎌倉市大町3-6-22
JR鎌倉駅東口3番バス乗り場から名越方面行きで「名越」下車徒歩5分
電話番号 0467-22-2973
拝観料/入館料 志納
開門・閉門時間 8時00分~16時30分