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八雲神社 地元に親しまれる厄除開運の杜  /鎌倉神社仏閣 #012

八雲神社 本殿

八雲神社は、鎌倉市大町にある歴史ある神社です。古くは鎌倉祇園社、祇園天王社の名でしたが、明治維新の際、八雲神社と改称、大町総鎮守として地元では「八雲さん」、「お天王さん」などと呼ばれ親しまれています。

鎌倉駅からのアクセス

鎌倉駅東口から若宮大路を渡り、右方向(海側)に進み、鎌倉郵便局の先を左に曲がります。しばらく進み小町大路に突き当たったら右にしばらく行くと夷堂橋が滑川にかかっています。夷堂橋の先小町大路は大きく右にカーブしていますので、道なりに進みます。

夷堂橋

150mほど進むと左手に仏具の温古堂がありますので、その先小道を左に曲がります。角には八雲神社の道標が立っています。小道の突き当りに鳥居が見え、八雲神社となります。

住宅街の小道の奥に鳥居
八雲神社 一の鳥居

夷堂橋からの別ルートとして、夷堂橋先を小町大路ではなく、左手直進方向に妙本寺参道を進みます。

夷堂橋左奥の妙本寺寺標 奥に妙本寺総門

妙本寺総門右側に比企谷幼稚園がありますので、その手前の右の小道に入ります。

妙本寺総門脇の比企谷幼稚園

角には常栄寺の道標が立っています。小道を進むと左手に常栄寺があり、更に50mほど進むと八雲神社が同じく左手に見えます。

常栄寺への道標

いずれのルートでも徒歩10分程度の道のりです。

由緒

平安時代の1083年、源頼義の三男源義光(新羅三郎義光)は、後三年の役で兄義家が苦戦していると知り、京都を出陣して陸奥の国に向かう途中、鎌倉に立ちよります。その際、この地に悪疫が流行しているのを知り、「厄除神」として霊験の聞こえた京都の祇園社を勧請し祇園天王社(鎌倉祇園社)を建立、篤く祈願されたところ、悪疫は退散し住民は難を救われたのが起源と言われています。(祇園社を勧請し戦勝を祈願したとの伝えもあります)

その後、応永年間(1394~1428年)に、大町佐竹屋敷(現大宝寺)にあった祠が合祀され「佐竹天王」と称されていたそうです。

なお、明治の神仏分離により、祇園天王社(鎌倉祇園社)から改称し、八雲神社となりました。

略記

鎌倉時代には、源頼朝が幕府を開いた際に政治的・宗教的な中心地として八雲神社は重要な役割を果たしました。後に義光の子孫である佐竹義盛は、八雲神社の維持と発展に尽力し、佐竹氏は祭神として祀られています。

本殿への参道

新羅三郎義光と佐竹氏については、同じく大町の大宝寺の記事も参照してください。

大町の八雲さん

現在でも、地元では「八雲さん」や「お天王さん」として親しまれています。毎年7月には「大町まつり」が開催されます。神輿の渡御や伝統的な儀式が行われ、初日の神輿振は、鎌倉で100年以上続く伝統文化で、多くの人々が参加します。

二の鳥居から本殿

本殿

本殿
本殿と手前境内社

手玉石

境内には新羅三郎(義光)手玉石と書かれた大きな石が2つあります。この2つの石をお手玉で遊んだとは思えないので、武士たちの力比べにでも使われたのでしょうか。

新羅三郎手玉石

境内社

八雲神社には境内社がいくつかあります。
本殿左には諏訪神社、稲荷社、於岩稲荷社があり、本殿右側ハイキングコース入口脇に三峰神社と御嶽神社があります。

三峰神社と御嶽神社

祇園山ハイキングコース

境内右横に祇園山ハイキングコースの入口があります。祇園山は、まさに八雲神社が鎌倉祇園社と呼ばれていた名残です。令和元年の台風被害で閉鎖されていましたが、2023年に再開されました。
祇園山ハイキングコースは、八雲神社と東勝寺跡腹切りやぐらを結ぶ山道です。およそ1.5Kmの距離で休まずに歩くと30~40分ほどかかります。途中妙本寺の裏山を通る際、妙本寺に出ることができます。
八雲神社から登ると5分ほどで海側の鎌倉の町並みが望める見晴台があります。そこへの往復だけ挑戦してみることもありかと思います。
その見晴台付近以外は休憩できる場所もなく、開けた景色も少なく山道が続くハイキングコースです。途中階段のない急な段差や、ハチなどの虫もいますので、山道に適した靴と服装は必要でしょう。

ハイキングコースへの入口
ハイキングコース 八雲神社側
見晴台から
こういった山道が続く
東勝寺跡側の入口

住所         鎌倉市大町1-11-20
          JR鎌倉駅東口徒歩10分 
          
電話番号       0467-22-3347
拝観料/入館料     志納

開門・閉門時間    8:30~16:30 (御朱印は 9:00~16:00)